「ネパールで大地震」というニュースを聞いて、深刻な被害が容易に想像できた。3年前に父に会いにネパールに行った時に、急激な都市化に合わせて建てられている沢山のレンガ造りのビルを見た。ネパールの建物は、ほとんどがレンガだった。

ネパール
3年前、建設ラッシュのカトマンズ

父は首都の近くの村に住んでいて、再婚し7歳の息子が居る。運よく携帯がつながりみんな無事で、家も倒れてないから、露頭にも迷ってないと聞いて安堵した。

2日後の朝、もう一度電話をかけると電気と水が止まったままで、情報は全く入ってこず、携帯電話の充電ももうすぐ切れるから連絡がとれなくなる。強い余震が1時間置き位に起こるから、村の人はみんな雨嵐の天気の中で野宿をしている。と言っていた。

その6日後、日曜日の朝にようやく父と電話が繋がった。友人やいとこ達の村が壊滅状態にある事を知った父は、知り合いの協力を仰いで支援に向かった。

付き合いのあった建材屋にトラックを借り、タクシーの兄ちゃんに運転を頼み、手持ちのお金で買えるだけの食料と水をトラックいっぱいに買い込んで、1時間先の村まで届けた。道中は道がぐちゃぐちゃになっていたため、何時間もかかり、その村に届いた支援物資はそれが唯一の物だった。建物はすべてが倒壊してしまい、嵐の中をみんな外で過ごしていたため、病気になってしまいそうだった。麦の収穫最盛期で、村人は総出で田んぼに出ていたため、運よく大人は無事だったが、赤ん坊が一人亡くなった。

翌日、いとこの住む集落まで支援に行くと、いとこ達は無事だったが、そこでは沢山の人と動物の死体が埋まっているままだった。雨の中何日も経ってしまい、ひどい腐敗臭の中、動物と人間の死体を一つずつ、掘り出しては燃やした。

翌日、運よく無事だった父の集落の人たちに支援を求めて回ったが、日当を払わないと手を貸してくれない。家が無い人達にブルーシートが沢山必要だから分けてくれと言っても、自分の身が心配で誰も分けてくれない。空港には何万枚もブルーシートが届いているらしいから、明日は空港へ直接行って交渉してみる。と言って電話を切った。

3・11の震災2か月後に石巻へ行った時も、自衛隊の基地には支援物資がいっぱい届いていたが、炊き出しへ行った避難所へは届いていない状況だった事を思い出した。

父達の心配しながらも、畑は急に夏の様な日差しで気持ちが落ち着かない。僕の気持ちが落ちていようが、畑の夏野菜は暑さで威勢が出てきた様で、少しほっとしました。(勝)

 

ネパール大地震 救援緊急募金のお願い

今、直接飲み水は送れないし、医薬品も食料も送る手立てはない。しかし、援助に動き出した国際機関にせよ、日本のボランティア団体にせよ、いつも資金不足だ。今私たちにできる支援は、募金集めだろうと思います。皆さまのご協力をお願いします。

皆農塾 鈴木恵子